Friday 28 August 2009

今日のテーマソング

今日、鉄作家槇塚登さんの作品を拝見させていただきました。

槇塚さんの作品を前から見たい、見たいと思っていたので、突然押しかけましたが、色々と作品を見せていただき、ウワサに違わず、面白い。

面白いのは、その作品の「ロックさ」加減かもしれません。










アンプ内臓マシーンから、忌野清志郎と吉田拓郎が。。





清志郎は、最近亡くなってしまったこともあり、聴いていましたが、しばらく聴いていなかった吉田拓郎を聴きながらドライブしました。





唇をかみしめて 作詞 吉田拓郎/作曲 吉田拓郎

「ええかげんな奴じゃけ ほっといてくれんさい
 アンタと一緒に 泣きとうはありません」

「何かはワカラン 足りんものがあったけん
 生きてみたんも許される事じゃろう」

「心が寒すぎて 旅にも出れなんだ
 アンタは行きんさい 遠くへ行きんさい
 何もなかったんじゃけん」



槇塚登さんのブログ:鉄遊楽
http://steel-factory.seesaa.net/

Saturday 15 August 2009

君が泣くから、僕は歌う

最近、聴いている Beirut は、アメリカのニューメキシコ州出身の若いアーティスト。
東欧での滞在をもとに、自分で作曲した音楽は、若干 21 才とは思えないほどの郷愁にあふれるようなメロディー。

Beirut の La llorona という曲がある。
Llorona(ジョロナ)とはもともと、スペイン語で、直訳すると「泣き女」。メキシコには、この「ジョロナ」の伝説や唄がある。Beirut の「ジョロナ」は、全く独自のメロディーで、しかもアニメーションが素朴でいい味なので、うっとりと観てしまう。






サボテンのあるメキシコっぽい風景の映像。
Youtube のコメントを読んでいても、メキシコ人の中にも、グローバリゼーションで、メキシコ文化が異なる形で他の国に人々にアレンジされ、享受されているのを喜んでいる人が多いらしいのが伺える。



「ジョロナ」の起源やその説にはいろいろあるけれど、共通認識として知られているのは、夜中に、泣きながら、叫びながら、誰かを探して道をふらふらしている女性の霊の伝説。


こちらは、映画「フリーダ」(2002年)のワンシーン。




夫ディエゴとの生活に苦悩するフリーダの前に、老婆が現れて、突然「ジョロナ」を唄いだす。こわい。。。
この映画の中の老婆は「死」の象徴なので、映像の最後に、メキシコに亡命したトロツキーが暗殺されるシーンが入る。



この映画で唄われている「ジョロナ」が、メキシコで一般的によく知られているジョロナの歌で、Beirut のものとは、けっこう違う。歌詞も、人生に絶望して、ジョロナに語りかけている女性の独白のような印象で、けっこう暗い。この映画は、私がメキシコに留学前に観たので、実際に暮らす前のメキシコのイメージに影響しているかも。


歌詞を日本語に訳そうと思ったけれど、詩の訳は難しいので、スペイン語で抜粋。


Si porque te quiero quieres, Llorona
Quieres que te quieres más
Si ya te he dado la vida, Llorona
¿Qué mas quieres?
¿Quieres más?





Manu Chao は、英語、スペイン語、フランス語、ポルトガル語で歌ったりして、色々な国で大人気のあアーティスト。
歌の後半部分に、「ジョロナ」が女性の声で入る。Manu Chao は、音のアレンジ、組み合わせが面白いので、ジョロナの歌も効果的に挿入されている。歌の主題は「この世のものはすべて嘘」、挿入されるジョロナが哀しくも大げさな歌で、最後に「環境問題なんてどうでもいいじゃないか」といちゃつきながら話すカップルの声。


「ジョロナ」の伝説、というか、その起源には色々とあるらしい。
スペイン人に植民地化される前のメキシコで、ジョロナというのは「チウァコアトル」という女神だったという説がある。チウァトアトルは、優美な白い服を着て夜に現れ、唸ったり、叫んだりしていたという。彼女の額には、角が生えていたとか。。そのほかにも、ジョロナは、メキシコを征服したスペイン人コルテスの妾となったマリンチェという説もある。

夜中に泣きながら叫びながら彷徨っている女性が、結婚式の前夜に死んでしまい、その夫となるべき人を探しているとか、亡くなった子どもを探しているとか、夫の不在中に死んでしまった女性がその夫にお別れのキスをするために探しているとか、無実の罪で嫉妬深い夫に殺された女性がその無実を訴えて歩いているとか。。。



ジョロナの画像を検索していると、アメリカ人の刺繍を使って作品を作るアーティストの作品に遭遇しました。


"La Llorona" ©2005 Jenny Hart - collection of the artist


最後に、メキシコ人監督による、パペットアニメーションをご紹介。
色っぽいガイコツが、ひなびた酒場で「ジョロナ」を歌っているシーン。





レネ・カスティージョという監督の「Hasta los Huesos」(直訳:骨まで)という映画のワンシーンのようです。
ストップモーション好きの方は、完全バージョンもどうぞ。





参照ページ
http://www.sep.gob.mx/work/appsite/muro/leyendas/llorona.htm

Sunday 9 August 2009

バーチャルライフと現実で、迷子。

今日は新しい用語を知る。

山口裕美『現代アート入門の入門』によると、2000年代は「ユビキタスの時代」とのこと。ああ、美術をずっと勉強してきたつもりなのに、そんなの知らない。。

ユビキタス(Ubiquitous)とは、正確には美術用語ではなくて、

それが何であるかを意識させず(見えない)、しかも「いつでも、どこでも、だれでも」が恩恵を受けることができるインタフェース、環境、技術のことである。 ユビキタスは、いろいろな分野に関係するため、『ユビキタスコンピューティング』、『ユビキタスネットワーク』、『ユビキタス社会』のように言葉を連ねて使うことが多い。

『ウィキペディア』より抜粋
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%93%E3%82%AD%E3%82%BF%E3%82%B9

とはいうものの、まだその定義は厳密ではなくて、W3C がワークショップを開催したり、国際基準の規格化をすすめているらしいです。


自分がいかに、インターネットの中で迷子になっているかを書こうと思っていたけど、いつの間にか「ユビキタス」について書いていました。分裂症ですね。これも、インターネットの「タブ機能」のせいでしょう。
ひとつのページを見ながら、いろいろなトピックに移っていける。
多くの主題を同時進行しながら、形ができ、推敲し、思いついたり、泡のように消えたり。


さて、何年か前から使っている mixi と、ブログ、たまに外国の友達とやりとりをするための、hi5 や Facebook、myspace しかも、そこに twitter を使い始めたので、う~ん、しんどい。

やはり、国籍や年齢層、インターネット環境に応じて、使っている SNS が異なるので、たくさんの友達とコミュニケーションをとり続けるためには、全部のアカウントを保ちつつ、続けていきたい。しかし、全部をチェックし続けることは、けっこうな労力がかかる。

去る者は日々に疎し、
無理して、「友情」を引き止めるのもどんなものか。

メキシコ人の友人たちは、twitter の利用率が低いので、彼らとのコミュニケーションを続けるには、Facebook もたまにアップしないと・・・、とか、mixi も、ブログをリンクさせているだけなので、友達は読みにくいだろうな、とか、みんな twitter 使い始めてくれれば、ラクなのに。。。とか、気疲れな日々。


友達の展覧会、インスタレーション作品風景。

"Ran Ran Happy!!" ikecoo Kitahama Gallery



今、自分の部屋の中が、こんな感じ。そんなことに悩んでいる間に、部屋のそうじと、論文を書こう、と思っています(いつも)。