Sunday 13 December 2009

お月さん幾つ


童謡や昔話には、いろいろな比喩や隠喩があって、面白いものです。

詩や話の中の隠喩法は、多くは子供を教育するためのものだったり、
言葉あそびを通して、仲間同士で楽しむものだったりして、興味深い。

地域のコミュニティセンターで受講している「歴史探訪」の講座で、
「お月さん幾つ」というわらべうたが取り上げられました。

もともとは、四国新聞に連載されている合田道人さんという方の記事の抜粋だと思われます。





お月さん幾つ

お月さん幾つ 十三 七つ

まだ年ァ若いね あの子を産んで

この子を産んで 誰に抱かしょ

お万に抱かしょ お万どこへ行た

油買いに茶買いに 油屋の前で

滑って転んで 油一升こぼした

その油どうした 太郎どんの犬と

次郎どんの犬と みな舐めてしまった

その犬どうした 太鼓に張って

鼓に張って

あっち向いちゃドンドコドン

こっち向いちゃドンドコドン

たたきつぶしてしまった



ちなみにこのわらべうた、私もどんな風に歌われるものか知らないのですが
下リンクページに歌詞付きの音があります。

http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/otsukisanikutsu.html


で、この詩の中に、どんな隠れた意味があるのか。
その合田さんの記事より抜粋します。


十三の月 とは
十三夜。十三夜は陰暦9月13日の月で、仲秋の名月に次いで美しい月のこと。

七つ とは
七つ刻、4時のこと。

おまん とは
夕焼け空ということ。
つまり、夕焼けに隠れて月がきれいに見えないということ。

転ぶ とは
隠語で、素人娘が売春すること。

お茶 とは
性交のこと。


ということで、合田さんの説は、”月も女性も最高に美しくなる一歩手前という
ときに、間違いを起こしてはならないといった教訓が隠されている。


この隠語の解説がどのくらい確かなものなのかはわかりませんが、
新聞に掲載されていた記事なので、そんなに大きく間違ってはいないはず。
ただ、後半部分の意味は述べられていなかったので、よくわかりません。

そもそも、このわらべうたに隠語法があるということ、その解釈自体、
後の世に生まれた人の勝手な思い込みかもしれません。


Yahoo!知恵袋で、このわらべうたの謎解きがありました。
ベストアンサーに選ばれた回答は、恐ろしい物語で、まったく異なる解釈でした。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411285044?fr=rcmd_chie_detail


個人的には、わらべうた・詩に限らず、芸術作品の鑑賞にしても、個々人が
楽しむ範囲であれば、自分好みの解釈をすればよいのではないかと考えます。

Monday 16 November 2009

Soutaisei Riron 相対性理論

Soutaisei Riron, quiere decir "Teoría de la Relatividad" en japonés.
Un grupo de música con la onda de rock y pop.
El músico japonés Ryuichiro Sakamoto dijo que a él le gusta escucharlo.

En sus cansiónes, a veces canta sobre el amor del adrescente para su maestro y otras veces canta sobre un canal de televisión (Televi Tokio). Las letras son como juego de las palabras. La chica que tiene el voz dulce y canta muy suave y muy lindo como la fragilidad de los adrescentes...




"el maestro infierno"

ya me voy a perder en la guerras de exámen
ya va a romper mi corazon tan frágil
en la aura del tiempo libre
todos hablan de las relaciones

mi maestro, quiero saber lo que yo no sé
mi maestro, quiero ver lo que no puedo ver
por favor, enseñámelo, por favor
estos días yo no puedo dormir bien
no puedo mover por la noche
maestro, ?porqué, porqué?


ay maestro, no me llames mi nombre con apellido
llámame sólo mi nombre
por favor, maestro, por favor


http://www.myspace.com/soutaiseiriron
http://www.mirairecords.com/


Twitter Button from twitbuttons.com

Monday 9 November 2009

Projected Type

Photos from a Projected Type project which has started my friend, typographer.

タイポグラファーの友人の始めた 字体投影プロジェクト (仮題) の写真。

Fotos del proyect "Projected Type" que ha empezado un amigo mio, tipógrafo.


His pages
http://ilovetypography.com/
http://welovetypography.com/









Photos by Gabomi
http://blog.livedoor.jp/gabomi_photo/



I'm happy for my participation in this project.

プロジェクトに参加できて嬉しいです。

Estoy feliz por poder participar en este proyecto.


Twitter Button from twitbuttons.com

Saturday 7 November 2009

神山町 AIR 2009

1999年に始まった、徳島県神山町のアーティスト・イン・レジデンス。
毎年3名のアーティストを国内外から選考し、神山町でしか制作することのできない作品を約2ヶ月の滞在期間の間に制作してもらう。2009年の滞在作家は、スベトラーナ・ガーボヴァ、キャメロン・ホッキンソン、水谷一、山中カメラの4名。

11月3日 - 8日 

参加作家たちの展覧会が開催された。


徳島県神山町の深い緑の谷は美しく、神山町アーティスト・イン・レジデンスを運営するNPO法人グリーンバレーの名前の由来であることを感じさせる。











"事象" 水谷 一
2009
劇場寄井座
356×356cm, 鉛筆・紙






作家自身が作品設置場所を選定し、劇場寄井座の掃除に時間をかけた。レジデンスの始まった当初には、劇場は暑く、しかし、夜になると気温はぐっと冷え込むこの場所で、約2ヶ月間にわたり、作品は制作された。様々な濃さの緻密な鉛筆の線で、3.65m 四方の紙は、表面に鉛筆の圧で歪みができるほどに描かれている。

"事象" は、寄井座の80年の歴史の推移を感じさせる空間の中で、その劇場の歴史の濃度に決して劣ることのない存在感を放つ。

劇場の小さな格子天井に描かれた色とりどりの沢山の広告の四角。
薄く、しかし、大きな紙にモノトーンで描かれた "事象"。
舞台には、大きな、飴色の円形。





"日本の詩情" Svetlana Gabova
2009
下分アトリエ
226×100cm, アクリル・キャンバス




ロシアから神山へ招待されたガーボヴァは、日本語をあまりしゃべることができなかったという。英語での会話も難しく、その約2ヶ月の滞在では、困難な状況も起こっただろうと想像される。しかし、言語というひとつの社会的記号が遮断された状況にのみ、実感できることがある。

キャンバスに使用された正方形は、ガーボヴァが神山町で神社仏閣、至る所で目にした象徴的な形だった。彼女が制作していたアトリエの色とりどりの窓も、彼女の作品にインスピレーションを与えたことが伺える。四角に区切られた画面には、彼女が滞在期間に心を動かされた神山町のたくさんの視覚的記号が描かれている。漢字もまた、象形文字のルーツを辿るものもあり、「絵」である。日本人にとっては、些細な日常の要素「漢字・おもちゃ・景色」を、この国の言語を理解できない一人の画家が、彼女自身の解釈を加えながら描いたその画面は、鑑賞者に「別の視点」を与える。



"かぐや姫の昇天 Cammeron Hockenson"
2009
鮎喰川の竹林 (下分 栗生野地区・ 栗生野橋東側)
30×12×6m, 竹・縄・ワイヤー










"わら・山・川" Cammeron Hockenson
2009
438号沿いの田んぼ (神領 本野間・JA神山支所付近)
12×4.5×2.7m, 稲わら






"無題" Cammeron Hockenson
2009
上角谷川岸の田んぼ (神領 大久保地区・ 乳イチョウ付近)
5×2×6m, 日本杉







"ハザード・ケルン:駐車禁止" Cammeron Hockenson
2009
神山町農村環境改善センター駐車場
2×2×3.6m, (取り壊した駐車場の)アスファルト片




神山町の方のお話によると、"ハザード・ケルン:駐車禁止"は、「いつのまにか作られていた」という。農村環境改善センターには現在、新しいアスファルトの立派な駐車場がある。作品は、以前そこにあった古い駐車場のアスファルトで制作されている。このオブジェは、交通標識の赤い三角コーンを模してるだけではなく、産業廃棄物でありながら、古くから人類が建造してきた道標や建造物を連想させる。

キャメロン・ホッキンソンは、神山町滞在の間に4作品を制作した。一つ一つの作品に、彼の確実な技術、そして、日本・神山滞在の経験が色濃く反映されている。作家は、神山町滞在を心より楽しんでいるように、彼の視点で、これだけの数の作品を楽しみながら制作したのだろう。


"神山スダチ音頭" 山中 カメラ
2009
下分小学校グラウンド
インスタレーション, スダチコンテナ・電球・TVモニタ・DVDプレイヤー、スピーカー






神山スダチ音頭に楽しく参加させていただいたため、踊りの写真、映像はありませんが、Youtube より、下の映像をお借りいたしました。




山中カメラは、その神山滞在中に、住民と交流しながら、神山スダチ音頭の作詞、作曲、振り付けを構想した。演奏、合いの手を入れる声は、神山町の住民の方々が担当し、今年 KAIR に参加した作家たちの声もミックスされている。「スダチ=巣立ち」とかけられたその音頭は、神山の自然と、そこで育まれる子供たちの巣立ち、そしてまた戻ってくる様子を歌っている。

11月3日のインスタレーションの電球は煩悩の数、108つの倍、216個用意され、それらが、スダチのコンテナの中で暖かい明かりを点していた。寒波の寒い夜、UFOでも下りてきそうな不思議な空間の中、神山町の人々と、神山の魅力に惹かれて集まってきた人々が、輪(=和)になり、スダチ音頭を楽しんだ。


神山町AIR2009 の作品は、11月8日まで展示されているが、期間が終わった後も、過去10年のAIRの作品とともに、公開されている作品は多数あり、神山町を訪れた人は、KAIR の11年の間に制作された作品を楽しむことができる。


〈参考URL〉

神山町アーティストインレジデンス
http://www.in-kamiyama.jp/


Twitter Button from twitbuttons.com

Tuesday 22 September 2009

Deseo del Suicidio



?puedes embellecer todas mis mentiras,
por poder tener la valentía de salir desde mi mundo?
pero quizá no se puede, por el demasiado agotamiento

?puedes admitir mi ética absurda,
por poder tener la voluntad de recibir expectación del otro?
estoy repetiendo las mismas cosas

hoy vamos a Penísula Bousou por Tengengi
tu vida enterrada al lado del conductor
si quieres que te haga lo que quiera, te hago cualquier cosa
pero ?yo lo merezco?

dudo si puedas suicidarte después de matarme
tus miradas con la mascara del niño no contesta nada
?qué tal la otra selección de vivir?

hoy también hay luz de la luna y penumbra en la parque de la playa
tu señal brillada al lado del conductor
pueden lograr nada las manos llevadas abajo del abrigo, ?no?
quizá me confundiste con otra

odio todo
no me gusta nada
que mentiroso, estás queriendo admirarme
¡no hay necesidad de vivir una mujer sin valor después de esta noche!
...por favor, mátame

Sunday 6 September 2009

A quien corresponde




Sus palabras son ligeras

Eso siempre le decía

Como la pantalla de la televisión y el ordenador

O como el espejo o el superficie del agua

Su corazón sólo refleja alguien esté enfrente de él

Eso ya no tiene necesidad de reflejarme



En el arroyo de la montaña corre el agua limpio,

pero muy rápido

El río grande ya no tiene el agua transparente,

pero tranquilo y contiene todo en él

Muchas burbujas aparecen y desaparecen




El río del enero o febrero ya está muy lejos

Igual con la tristeza y la felicidad alejana

俵積み唄

日本全国の民謡を聴きたいと思い、北海道から南下中。

で、マイブーム民謡を発見。


青森の俵積み唄




今、仕事が不思議なくらいに忙しいせいか、このアップテンポの景気のよい曲がしっくりときて、車の中でヘビーリスニング。

お金持ちの旦那様のお屋敷で、米俵を積んでいく唄。

歌詞も正式なものはないらしく、いろんなバージョンがあるけれど、出だしは


♪ ハアー 春の始めに この家旦那様サ 
  七福神のお供してコラ 俵積みに参りた


こんな感じで始まって、旦那様の屋敷がどれだけたくさんの蔵を持っているか、どんな暮らしかを唄って、米俵を米蔵に、見事に積んでいきます。


♪ 目出度いな 目出度いな
  この家旦那様は百万長者と申される


と終わる。


いいなあ。景気いい。



参考ページ
http://homepage1.nifty.com/kotaro2000/tawara.htm

Wednesday 2 September 2009

Isn't there no good art nor bad art?

ダミアン・ハースト、ついったーでつぶやく。

"there is no good or bad art.
there are only lucky and unlucky artists."

いい芸術、悪い芸術というものはない。
ラッキーなアーティストとアンラッキーなアーティストがいるだけだ。


はてさて、世界的に有名なアーティストが、そんなことを言ってもいいのかしら?

International famous artist can say that??



友人の産廃場へアーティストさんたちと、ゴミ(宝)の山の散策へ行きました。




広大な土地に、膨大な産廃。
ゴミの山の後ろには、美しい棚田。
休み少なく働く中国人労働者。






ダミアン・ハーストは、自分のことをラッキーと思っているのかな。


自分の生まれた場所とか、国とかによって、スタートからみんな違うし、
目標も、拠って立つ価値観も違う。


芸術関係の仕事をするブラジル人の友達に「恵まれた環境」について、

"No es justo" (そんなの公平ではない)とぼやくと、
"Me parece nada es justo" (私には何も公平と思わない)との返事。


私は、ラッキーとか、アンラッキーとか、そういう風に物事をあまり考えません。
というのも、ラッキーのあとには、いつもアンラッキーがくるから。その逆もしかり。


I, personaly don't consider the things as lucky or unlucky.
Because always unlucky will come after lucky.

Friday 28 August 2009

今日のテーマソング

今日、鉄作家槇塚登さんの作品を拝見させていただきました。

槇塚さんの作品を前から見たい、見たいと思っていたので、突然押しかけましたが、色々と作品を見せていただき、ウワサに違わず、面白い。

面白いのは、その作品の「ロックさ」加減かもしれません。










アンプ内臓マシーンから、忌野清志郎と吉田拓郎が。。





清志郎は、最近亡くなってしまったこともあり、聴いていましたが、しばらく聴いていなかった吉田拓郎を聴きながらドライブしました。





唇をかみしめて 作詞 吉田拓郎/作曲 吉田拓郎

「ええかげんな奴じゃけ ほっといてくれんさい
 アンタと一緒に 泣きとうはありません」

「何かはワカラン 足りんものがあったけん
 生きてみたんも許される事じゃろう」

「心が寒すぎて 旅にも出れなんだ
 アンタは行きんさい 遠くへ行きんさい
 何もなかったんじゃけん」



槇塚登さんのブログ:鉄遊楽
http://steel-factory.seesaa.net/

Saturday 15 August 2009

君が泣くから、僕は歌う

最近、聴いている Beirut は、アメリカのニューメキシコ州出身の若いアーティスト。
東欧での滞在をもとに、自分で作曲した音楽は、若干 21 才とは思えないほどの郷愁にあふれるようなメロディー。

Beirut の La llorona という曲がある。
Llorona(ジョロナ)とはもともと、スペイン語で、直訳すると「泣き女」。メキシコには、この「ジョロナ」の伝説や唄がある。Beirut の「ジョロナ」は、全く独自のメロディーで、しかもアニメーションが素朴でいい味なので、うっとりと観てしまう。






サボテンのあるメキシコっぽい風景の映像。
Youtube のコメントを読んでいても、メキシコ人の中にも、グローバリゼーションで、メキシコ文化が異なる形で他の国に人々にアレンジされ、享受されているのを喜んでいる人が多いらしいのが伺える。



「ジョロナ」の起源やその説にはいろいろあるけれど、共通認識として知られているのは、夜中に、泣きながら、叫びながら、誰かを探して道をふらふらしている女性の霊の伝説。


こちらは、映画「フリーダ」(2002年)のワンシーン。




夫ディエゴとの生活に苦悩するフリーダの前に、老婆が現れて、突然「ジョロナ」を唄いだす。こわい。。。
この映画の中の老婆は「死」の象徴なので、映像の最後に、メキシコに亡命したトロツキーが暗殺されるシーンが入る。



この映画で唄われている「ジョロナ」が、メキシコで一般的によく知られているジョロナの歌で、Beirut のものとは、けっこう違う。歌詞も、人生に絶望して、ジョロナに語りかけている女性の独白のような印象で、けっこう暗い。この映画は、私がメキシコに留学前に観たので、実際に暮らす前のメキシコのイメージに影響しているかも。


歌詞を日本語に訳そうと思ったけれど、詩の訳は難しいので、スペイン語で抜粋。


Si porque te quiero quieres, Llorona
Quieres que te quieres más
Si ya te he dado la vida, Llorona
¿Qué mas quieres?
¿Quieres más?





Manu Chao は、英語、スペイン語、フランス語、ポルトガル語で歌ったりして、色々な国で大人気のあアーティスト。
歌の後半部分に、「ジョロナ」が女性の声で入る。Manu Chao は、音のアレンジ、組み合わせが面白いので、ジョロナの歌も効果的に挿入されている。歌の主題は「この世のものはすべて嘘」、挿入されるジョロナが哀しくも大げさな歌で、最後に「環境問題なんてどうでもいいじゃないか」といちゃつきながら話すカップルの声。


「ジョロナ」の伝説、というか、その起源には色々とあるらしい。
スペイン人に植民地化される前のメキシコで、ジョロナというのは「チウァコアトル」という女神だったという説がある。チウァトアトルは、優美な白い服を着て夜に現れ、唸ったり、叫んだりしていたという。彼女の額には、角が生えていたとか。。そのほかにも、ジョロナは、メキシコを征服したスペイン人コルテスの妾となったマリンチェという説もある。

夜中に泣きながら叫びながら彷徨っている女性が、結婚式の前夜に死んでしまい、その夫となるべき人を探しているとか、亡くなった子どもを探しているとか、夫の不在中に死んでしまった女性がその夫にお別れのキスをするために探しているとか、無実の罪で嫉妬深い夫に殺された女性がその無実を訴えて歩いているとか。。。



ジョロナの画像を検索していると、アメリカ人の刺繍を使って作品を作るアーティストの作品に遭遇しました。


"La Llorona" ©2005 Jenny Hart - collection of the artist


最後に、メキシコ人監督による、パペットアニメーションをご紹介。
色っぽいガイコツが、ひなびた酒場で「ジョロナ」を歌っているシーン。





レネ・カスティージョという監督の「Hasta los Huesos」(直訳:骨まで)という映画のワンシーンのようです。
ストップモーション好きの方は、完全バージョンもどうぞ。





参照ページ
http://www.sep.gob.mx/work/appsite/muro/leyendas/llorona.htm

Sunday 9 August 2009

バーチャルライフと現実で、迷子。

今日は新しい用語を知る。

山口裕美『現代アート入門の入門』によると、2000年代は「ユビキタスの時代」とのこと。ああ、美術をずっと勉強してきたつもりなのに、そんなの知らない。。

ユビキタス(Ubiquitous)とは、正確には美術用語ではなくて、

それが何であるかを意識させず(見えない)、しかも「いつでも、どこでも、だれでも」が恩恵を受けることができるインタフェース、環境、技術のことである。 ユビキタスは、いろいろな分野に関係するため、『ユビキタスコンピューティング』、『ユビキタスネットワーク』、『ユビキタス社会』のように言葉を連ねて使うことが多い。

『ウィキペディア』より抜粋
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%93%E3%82%AD%E3%82%BF%E3%82%B9

とはいうものの、まだその定義は厳密ではなくて、W3C がワークショップを開催したり、国際基準の規格化をすすめているらしいです。


自分がいかに、インターネットの中で迷子になっているかを書こうと思っていたけど、いつの間にか「ユビキタス」について書いていました。分裂症ですね。これも、インターネットの「タブ機能」のせいでしょう。
ひとつのページを見ながら、いろいろなトピックに移っていける。
多くの主題を同時進行しながら、形ができ、推敲し、思いついたり、泡のように消えたり。


さて、何年か前から使っている mixi と、ブログ、たまに外国の友達とやりとりをするための、hi5 や Facebook、myspace しかも、そこに twitter を使い始めたので、う~ん、しんどい。

やはり、国籍や年齢層、インターネット環境に応じて、使っている SNS が異なるので、たくさんの友達とコミュニケーションをとり続けるためには、全部のアカウントを保ちつつ、続けていきたい。しかし、全部をチェックし続けることは、けっこうな労力がかかる。

去る者は日々に疎し、
無理して、「友情」を引き止めるのもどんなものか。

メキシコ人の友人たちは、twitter の利用率が低いので、彼らとのコミュニケーションを続けるには、Facebook もたまにアップしないと・・・、とか、mixi も、ブログをリンクさせているだけなので、友達は読みにくいだろうな、とか、みんな twitter 使い始めてくれれば、ラクなのに。。。とか、気疲れな日々。


友達の展覧会、インスタレーション作品風景。

"Ran Ran Happy!!" ikecoo Kitahama Gallery



今、自分の部屋の中が、こんな感じ。そんなことに悩んでいる間に、部屋のそうじと、論文を書こう、と思っています(いつも)。

Tuesday 21 July 2009

Twitter、どうですか?

ぼちぼち、Twitter を使い慣れてきました。

http://twitter.com

メールより、ラクで楽しい。
日本語ページが、まだ「直訳」ぽくて、意味のわかりにくいところがあるけど、
まあ、登録して、友達とコミュニケーションするにはとても面白いツール。


登録して、友達を「フォロー」して、文章を書くだけ。


mixi みたいに、長い日記でないのではなく、たったの140文字を入力するので、だらだらと書くこともないし、読むこともない。


Twitter とは、「鳥のさえずり」らしい。


ひとりごとみたいに、どうでもいいことを書き込んだり、「今ここにいるよ」と
書き込んで、人に会うことができたり。
なかなか面白いので、ぜひ、試してみてください。

Saturday 18 July 2009

Serpiente Blanco

En Japon, dicen que serpientes blancos son los mensajeros de dios.
Asi que uno no debe matar a serpiente blanco.

Hoy vi un serpiente blanco y muerto...
Ya habia muerto cuando le halle...

Hace dos meses, vi a un serpiente (de la foto) en un templo sintoista.
Un serpiente grande y tranquilo, parecio como mensajero, aunque no era blanco.

Quiza el mensajero no necesita ser blanco siempre...


Wednesday 15 July 2009

瀬戸内国際芸術祭作品公募現地見学会

瀬戸内国際芸術祭作品公募現地見学会に参加。


I joined the art site observation tour around the islands for Setouchi Art Fest.
I enjoyed the islands though I'm not good to move in a group.




Fui a un tour para observar los sitios para la Feria de Arte Setouchi.

mmmm, mucha gente...





muchos peses en el mar tambien...










El campo de arroz, muy bello...
Los mexicanos tambien se emocionaran con el campo de maiz?

I really like the field of rice.






団体行動が苦手、というか、恥ずかしい、というか、
どうしたらいいのかわからないので、とりあえず、自分のやりたいことをする。。。



石碑発見。





I should go to there!!!





Aunue no haya nada, yo siempre quiero llegar.


Tuesday 30 June 2009

猫バカ

ネコがかわいので、ネコ写真ばかり。

だって、今がかわいいさかりなんだもん~




Sorry...






No tiene el nombre todavia, yo y mi familia llamamos con el nombre lo que queremos...

『吾輩は猫である』状態。名前はまだない。

夏目漱石は、はずせないでしょう~